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毎週1章ずつ、小説を書いています。これが一作品目です。なのでかなり読みづらいと思います。ですが、毎週僅(わず)かですが、自身の成長を感じています。ですから少しずつ、読みやすく面白くなっていくと思います。お時間が少しでも許すようでしたら、よければ読んでやってください。m(_ _)m
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「井の中の蛙達」第3章あらすじ
強い日差しに炙られる夏休み。クラス内でイジメのターゲットにされている田中は、以前までターゲットにされていた小林の家に招待される。「作戦会議」の参加者は2名。一体、そこでは何が語られるのだろうか...。
「井の中の蛙達」第3章「立ち机、転び机」
・1・
家を少し早めに出て、ホームセンター「アース」でお菓子やジュースを買おう。自室で身支度を整えて玄関で靴を履いていると、「ちょっと待って。」というお母さんの声が聞こえて来た。
両親は共々仕事をしているから、平日の昼はいつもいない。でも、今日は日曜日。お母さんは朝から料理や掃除をしている。お父さんは多分まだ寝ている。
扉の向こうのお母さんを待っている間、財布の中身を確認する。100円玉が6枚と10円玉が1枚、5円玉が2枚と1円玉が3枚。623円。悪くない。今月は上位層からの搾取(さくしゅ)は割と少なかったし、後半が夏休みなのもあって、結構残ってる。ありがたい。
「はい、これ。」
ドアを開けた母親の手には紙袋が下がっている。それを俺に渡す。
「なにこれ?」
「後輩の女の子がくれたの。小樽に行って来たんだって。」
「そのお土産?」
「そうそう。なんかクッキーみたいなやつ。」
「そうなんだ。ありがとう。」
「一応、頂き物で申し訳ないですって言っておいてね。」
「うん、わかった。」
俺が友達の家に遊びに行くと知ると、お母さんは必ず手土産を用意してくれる。その家の親に対する、うちの子がお世話になります、ということらしい。けど、渡すこっちとしては、結構恥ずかしいし面倒くさい。
他の奴らはそういうことはしない。だから一層恥ずかしい。とはいっても、その行為の大切さが段々とわかってきたし、何より、お母さんには逆らえない。
「じゃあ、いってらっしゃい。」
「いってきます。」と言って外に出る。青い空に入道雲がもくもくと漂っている。そして日差しは強い。まさに夏休みって感じ。
「アース」は冷房が効いていて気持ちいい。そのせいもあるのか、店内は結構な人数がいて賑わっている。
脇目も振らずに向かったお菓子コーナーでは、4歳から7歳くらいの3人の子どもがはしゃぎ回っていて、癒やされた。子どもを鬱陶(うっとう)しく感じる人もいるだろうけど、俺はその逆。幼い子を見てると心が和む。
そんな天使達がウロウロする横で、小林は何が好きなのかな?と考える。こういうときは無難にポテチかな。それともチョコ系がいいかな。誰かの家に呼ばれるなんて久しぶりのことだから、かなりワクワクしている。
結局、ポテチとチョコパイとグミを籠(かご)に入れた。この3種類があればどんな奴でも、きっと喜ぶ。
腕時計を見るとまだ2時半にもなってない。待ち合わせ場所はこの店の入口で、時間は午後3時だからまだ余裕。
まだレジには向かわずにペットコーナーに寄り道。壁一面に沢山並ぶ水槽には、金魚を中心とした多種多様な魚達が気持ちよさそうに泳いでいる。俺はそれを見ているのが好きで、「アース」に来た時は、だいたいここに寄ってから帰る。
猫とか犬は飼っていない。うちのアパートはそういうのは禁止だから。でも金魚とかなら大丈夫だと思う。だからいつかは自分で飼ってみたい。ウーパールーパーもいいかも。
いつものように金魚やメダカの飼育用具が並ぶ棚を見ていると、左から誰かの鼻歌が聞こえてきた。透き通った高音でささやきのようなそれは、全然耳障りじゃない。むしろ心地がいい。
音の方を見ると、緑のエプロンを付けた店員がちょうど水槽の掃除をしているところだった。普段は開いていない所が開いてる。それを見れて、ちょっと得した気分。しばらくその女の人の水槽掃除を眺めていた。楽しそうに手を動かすその感じが、いいなって思った。
壁一面が水槽のおかげもあるのか、冷房が効いているここは、まるで冷たい水の中みたいに感じられた。
待ち合わせした入り口に、まだ小林はいない。あと10分で3時になる。
ビニール袋をぶら下げて少し歩く。外は暑い、というか熱い。アスファルトは多分、素手で触ればやけどしそうなほど熱いと思う。足に伝わってくるエネルギーが違う。空気も熱い。遠くにそびえ立つチョコバーのように茶色いマンションは、今にもドロドロに溶けてしまいそうだ。そう言えば、買ったチョコパイは大丈夫かな。
小林はあの日と同じような服装だった。雨の横断歩道の真ん中で転んだ、あの日。水色のシャツに紺のズボン。さすがに、長さだけは違ってハーフ。
「やあやあ、田中くん。」
「おう。」
「今日、すごく熱いね。」
「な。」
「じゃあ、さっそくだけど、我が家に招待するよ。」
小林の家はあのチョコバーみたいなマンションだった。その3階。エレベーターに乗って少し歩けば306号室がある。そこが小林家らしい。
「つれてきたよー。」という小林に「はーい。」と答えるのは、多分、小林のお母さん。まあ、そのお母さんも小林なんだろうけど。
「いらっしゃい。」
小林のお母さんがタオルで手を拭きながら、笑顔で迎えてくれる。歳は俺のお母さんと同じくらいだけど、声が高くてどこか西洋的な品格がある人だ。それは俺のお母さんにはない。うちは、純日本人って感じ。
「おじゃまします。」
「はいはい、どうぞあがってー。」
「あ、あの、これ、僕の母からなんですけど、よかったら。」
お母さんから預かった紙袋を差し出す。
「ああ、ありがとう。」と、横から小林。
「あらぁ~、わざわざありがとうね~。ありがとうございますって、田中くんのお母さんにも伝えておいてもらえる?」
「はい、わかりました。あ、あと、それ、頂き物ですみません。」
「ん?ああ、気にしない気にしない。ありがとうね。」
危なく言い忘れることは回避できたけど、言葉が思うよに出てこなくて、発言が歪(いびつ)になってしまった。恥ずかしい。
小林は廊下を進みながら、トイレの場所や洗面所の場所を丁寧に教えてくれる。ここは見ないでね、という場所も教えてくれる。
廊下を突き当たりまで行く。右に行けばリビングで、小林の部屋は左にあるらしい。左に短く伸びる廊下を進む。そして止まる。右にも左にもそれぞれ4つ扉がある。小林は右側の手前の扉を開ける。
「さあ、どうぞ。」
小林に促(うなが)されて部屋に入る。
「あとの部屋は入らないでね。」
「大丈夫。そういうのはちゃんと守るから。」
「まあ、とりあえず座って。」
床の一部分にだけマットが敷かれている。それぞれの辺が凸凹(でこぼこ)になっている小さなマットが、パズルのように組み合わさって、大きな1枚のマットになっている。小学生のときに通っていた児童会館の床には、これと同じタイプのマットが敷かれていた。柔らかいから転んでも痛くない。
そのマットを小林は2つに分けて、1つを俺の方に滑らせる。
2人、向かい合って座る。あぐらをかく。が、しまった。小林の部屋に来たのはいいけれど、そこで一体何をして過ごすのか、これを全く考えていなかった。
中学に入ってから、友達の部屋に遊びに行くことは減った。同じ中位層の奴らとは、ほとんど学校だけの付き合い。たまに呼ばれてゲームをすることはあったけど。
でも、小学生のときはよく誰かの家で遊んだ。俺の家にも何度も呼んだ。そのときは、俺以外の家庭にはだいたいゲームがあったから、それをして時間を潰した。
俺の親はゲーム機を持たせてくれなかったから、いつも誰かからゲームを貸(か)してもらった。だから、今回も俺は特に何も考えずに財布だけ持って家を出た。
「ごめん、俺なんも持ってきてない。」
ゲームは無くてもせめて、トランプとかUNOぐらいは持ってくればよかった。
「ん?」
小林が不思議そうに見てくる。
「いや、だから、遊ぶもの、持ってくるの忘れた。ごめん。」
「ああ。」納得したと言う風にうなずく。そして言う。「実は僕、遊ぶために田中くんを家に呼んだわけじゃないんだ。」
「え?」
「その、話しをしたかったんだ。ほら、うちのクラス、いろいろとマズいことになってるじゃない?」
「ああ。」
「だから、その、作戦会議をしたいと思ってね。夏休みでいい機会だし。ごめんね、それを言っていなかったね。」
「なるほどな。」
「田中くんは、それでも大丈夫?それとも嫌?」
俺の中で、意識的にも無意識的にも、その話題に触れることは避けようとしていた。怖かったから。少しでも長く、そのことは忘れていたかった。でも、小林はしっかりと、それと向き合おうとしている。
「いや、やろう。作戦会議、やろう。」
まだ小林のことは何も知らないけど、仲間ができたようで嬉しかった。もしかしたら、小林も同じ気持ちなのかもしれない。小林も鼻の穴を大きくして、ニヤッとしていた。
とりあえず、買ってきたポテチとチョコパイとグミをビニール袋から取り出して、目の前の床に置く。
「なにこれ、買ってきてくれたの?」
「うん。せめてこれくらいはって思って。」
「気使ってくれなくていいのに。」
「うん、まあね。」
「ちょっと、まってて、僕もなにかないか探してくる。」
小林の部屋は面白い構造だ。まず、椅子が1つもない。小林はいつも今みたいに、このマットに座っているのかな。それとも、普段は座らないのかな。
机もない。でも、机っぽいのはある。
ドアから見て左へと横長に伸びる小林の部屋。その右奥、ちょうどドアの真正面で奥の壁にくっつくようにして、それは置かれている。1メートルより少し高いぐらいの本棚が、間隔を開けて置かれていて、それに橋をかけるようにして大きくて長い板が置いてある。その上には開かれたままの本やノート、文房具、ライトがある。
多分、これが小林の机。下に木箱が置いてあるけど、椅子としては使えなさそう。高さが足りないし、強度も心許(こころもと)ないと思う。だから、いつも立って勉強するのかもしれない。
前まではガリ勉だと馬鹿にしていたけど、今は純粋に凄いと思う。立ったままの勉強なんて、俺だったら20分ももたない。まあ、座ってでも同じだろうけど。
ドアから見て左奥の壁と平行になるようにして、ベッドが置かれている。その壁と直角の壁、つまりドアがある壁、のベッドから少し手前にずれた所には細長い扉が2枚付いている。多分、クローゼット。
面白いのが、そのクローゼットの反対側。ベッドの頭の方には、引き出しが5つ付いているプラスチックの半透明の棚が、2つ並べられている。ベッドの頭に沿うようにして、その隣にはダンボールの箱が置かれている。
でも、それらはクローゼットがある壁の反対側の壁、つまり小林の机らしきものがある方の壁、との間には、まだ人が手を広げられるくらいの空間がある。
順番的には、クローゼットから少し奥にずれて、壁、空間、ベッド、プラスチックの棚、空間、壁。となっている。多分、プラスチックの棚で部屋を2つに仕切っているんだと思う。なぜかは、わからないけど。
「おまたせ。ちょっと悪いんだけどね、せんべいしかなかった。」
戻ってきた小林の手にはお盆がある。そこには確かに純日本的なせんべいがのっている。そして、コップも2つ、2リットルの茶色いラベルのペットボトルもある。
「あと、ついでにごめんなんだけど、飲み物、麦茶しかなかった。」
麦茶とせんべい。まさに日本って感じ。
「せんべいも麦茶も好きだから大丈夫。」
「気つかってない?」
「いや、ほんとに。」
「ならよかった。」
笑った小林は続いて、床をキョロキョロと見始めた。
「ん?どうした?」
「これさ、」笑いをこらえるようにして小林が言う。「どこに置こう。」
たしかに。お菓子だけなら床でもいいけど、お茶の入ったコップは床には置きづらい。置けるけど、こぼしそう。
「あっ、そうだ。小さいけど、コップはこれに置こう。」
本棚と板が組み合わされた机らしきものの下から、小林が持ってきた木箱。それにコップを2つ置く。
「じゃあ、とりあえず食おう。」
「アース」で買ったポテチをパーティー開きにして床に置く。それを一つとって口に放り投げて噛み砕く。そして麦茶で流し込む。うまい。ポテチは安定の旨さ。それに加えて冷えた麦茶が身体に染みる。冷房が効いているから小林邸は涼しい。それでもやっぱり、冷えた麦茶はうまい。
小林もそのポテチをつまむ。
ずっと気になっていることがある。俺はそれを聞く。
「あのさ、」
「ん?」
「小林は、なんで俺と仲良くしてくれるの?」
「え?」
「だって、今は俺があいつらのターゲットになっているわけで、小林にはもう何もしなくなったんだよね?」
「ああ、まあね。」
「だったらさ、わざわざ俺にかまう必要なくない?」立て続けに聞く。「ていうか、俺に関わらないほうがいいんじゃない?」さらに言う。「しかも、小林があいつらに嫌なことされてるのを、俺は見て見ぬ振り、してたんだぜ?」
一気に吐き出した。
終業式の日、終わらない俺の宿題を2人で居残ってこなした夕方の教室。そのときからある疑問。でも、同時に、答えもそのときからわかっていた。それは、小林が優しいから。
小林はきっと今、俺を助けようとしてくれている。ただ同じクラスってことしか関係のない俺を。他の奴らは皆、手のひらを返すようにして、俺を見放した。でも、小林は逆。今まで話したことなんて殆(ほとん)どなかったのに、見事に落ちた俺を見て、自分から声をかけてきてくれた。
初めは誰かが助けてくれるのを待った。九条たちが一緒に戦ってくれると思っていた。でもしばらくしてそれは無意味だってわかった。だから次は自分から助けを求めようとした、けど、できなかった。何故か、できなかった。
本当なら、このまま何も聞かずにいた方が、よかったのかもしれない。これを言ってしまったら、もしかしたら、小林は俺を見捨てるかもしれない。でも聞かずにはいられなかった。小林の優しさに1から10まで甘えてはいられなかった。これは俺の意地なのかもしれない。
どんな答えが帰って来ても、覚悟はできている。
小林はゆっくりと口を開く。
「ああ、それはね、ちょっと長くなるんだけど、いい?」
「うん。」
小林は、息を小さく吸いながら少し上を向く。考える素振りを見せてから、話し始めた。
「まず、この話は、僕のお姉ちゃんを抜きにしては語れない。」
「え、お姉ちゃんがいるんだ。」
小林は視線をずらした。「うん。今はいないけど。」
その視線の先を追いかける。ベッドの近くにあるプラスチックの棚の上、そこに小さく顔が見える。写真立てに飾られたその女の人は笑顔だ。歳は多分、20歳とかそのくらい。
小林の言葉の意味がわかった。今はいないけど。つまり、もういない。きっとそういうことなんだ。
小林が俺と関わってくれるのには、俺の想像を絶する程に深い理由がありそうだ。感動とか感謝とか、もうそれどころじゃなくて、自分よりも大きな何かを前に、ただ呆然とすることしかできない、そんな感じ。全身からサーっと力が引いていくのがわかる。
「それでね、まあ簡潔に言うと、お姉ちゃんが、田中くんの力になってあげなって言うんだ。」
「え...?」驚いた。そして少し怖くなる。「小林のお姉ちゃんが、そう言ってくれたの?」
「そう。」そして続ける。「僕らのクラスで起きていることを、お姉ちゃんに話したんだ。」
ベッドに座ってその写真に語りかける小林の姿が、頭に浮かぶ。そしてお姉ちゃんが写真の中から小林に返事をする。いや、もしかすると、実際に現れるのかもしれない。
「うん。」しか返せない。小林には感謝しているけど、正直、小林を疑いつつもある。もしかすると、俺はかなりヤバイところに来てしまったのかもしれない。でも、今更帰るというわけにもいかないだろ。
しっかりとした目つきで小林が俺を見る。そして低い声で言う。「ここからは、そのお姉ちゃんの話だよ。」
・2・
ー ー ー
小林ゆずほ。漢字ではなくひらがなで、ゆずほ。
時刻は12時30分過ぎ。教室内で生徒達がそれぞれ集う中、ゆずほは1人、机の上の弁当を食べている。母親が作ってくれたもので、今日のおかずはチキンナゲット。冷凍ではなく、手作り。ケチャップとよく合う。
1人の昼休みには慣れていた。いつも1人で昼食を取り、1人で本を読む。
周囲では男も女もどんちゃん騒ぎだ。丸めた靴下を投げ合う男子数人、卑猥(ひわい)な言葉を公然と交わす男子と女子数人、甲高い笑い声を雄叫びのように定期的に発する女子数人。もはや秩序などないように思えた。無規範状態、「アノミー」と言ってもよいだろう。
ゆずほの隣を今まさに女子数人が通ろうとしている。先程まで数名の男子と卑猥な言葉を投げあっていた女子達が自席へと戻ろうとしているのだ。何が楽しいのかはわからないが、とにかくもの凄くうるさい。
「ちゅい、押すなって!まじでぶつかるじゃん!」
「いや、ぶつかってもよくね?」
「いや、マジそれはヤベエーって。」
「うぅいぃー!」
ドサッ。突然、ゆずほの左半身に何かがぶつかって来た。その衝撃で彼女は椅子から落ちようとしている。そして机も今まさに倒れようとしている。彼女の目に映る光景はいつもの何倍も遅く進む。
机に置かれていた弁当箱が宙を舞う。中からケチャップを纏(まと)ったチキンナゲットが、数個飛び出す。
ゆずほの席の隣(となり)は、人気者の前鼻(まえはな)という名の男子の席だ。バスケ部で身長が高い。それでいてかっこいい。バレンタインには両手でも持ちきれないほどチョコをもらえる、という容姿だ。
しかも、優しい。クラスの女子から若干のイジメにあっているゆずほにも、前鼻は皆に接するのと同じようにしてくれる。
その彼が愛用するリュックは白地に黒のラインが入っている。デザインがお洒落(しゃれ)なのはもちろん、それを汚さずにいるのが凄い。白いものは大概、薄汚れていくものだ。相当なこだわりがあるのかもしれない。
ゆっくりと動く世界の中、宙を舞うチキンナゲットに、ゆずほは必死に手を伸ばそうとする。しかし、高速で動くのは脳だけで、身体は言うことを聞かない。
世界が元の速さを取り戻した。右半身に鈍い痛みを感じるのと同時に、違う場所からも鈍い音がする。倒れた机からだ。そして、前鼻の真っ白いリュックからだ。いや、もはやそれは真っ白とは言えない。所々に、ヌラヌラとした赤い汚れが付いている。
一瞬の出来事と右腕の激痛を前に、ゆずほは動けずにいた。
机が倒れるとき、鈍いとはいえ、かなりの音がした。クラス中が、こちらを見ている。そして沈黙が辺り一帯を支配する。
その沈黙を切り裂いたのは、森田という男子だ。前鼻と同じバスケ部で、いつも一緒にいる。
「え、ちょい、前鼻、あれ、ヤバいわ。」
返事をしない。前鼻もすでに気がついているようだ。そして、その代わりに言う。「ぅおぉーいぃーーー!ふぅざけぇんなよぉおおおーーー!!」顔を見なくてもどんな顔をしているのかがわかる。もはや殺意すら感じられた。
男子が本気で怒る声を、高校に入ってから、ゆずほは初めて聞いた。
身体がやっと動いた。すぐさま、制服のポケットをまさぐる。ポケットティッシュを数枚抜き取り、白いリュックに付いた赤い染みに手を伸ばす。前鼻が大切にしているリュックだ。今拭き取ればまだ間に合うかも入れない。視界の外にいる前鼻の、怒りの熱を頬に感じながら、今、拭う。
突然、激痛が走った。倒れたとき、右腕にはかなりの負荷がかかっていたのだ。ティッシュを掴み今まさにリュックを拭いていたその腕が、揺れる。手がブレる。赤い染みが塗り拡(ひろ)げられる。
「は?」
ゆずほは痛みのあまり閉じていた瞼(まぶた)を開ける。そしてその目を更に大きくする。
誰かが大きな足音を立てて、駆け寄って来る。そして、白いかばんが持ち上げられる。
「あ、前鼻くん、その...」
「マジ、フザケンナ。」
倒れたゆずほの机を蹴り飛ばして、彼は元の場所に戻った。
「おい、前鼻、大丈夫かよ。」
「前鼻くん、大丈夫?」
数人の男女が憐れみを提示する。
「いや、マジキメエ。」いつもより声が低い、でも早い。「マジアリエネエワ。」
「うわあ、これはひでぇーな。」と男子。
「私、ウェットティッシュ持ってるよ。」と女子。
「ああ、サンキュ。」とため息まじりに、前鼻。
今起きた一瞬の出来事が、何時間にも感じられた。
あの女子達がぶつかってきて、いや、わざと押されて、ゆずほは机ごと転んだ。その衝撃で前鼻の白いリュックに汚れが付いた。だから、ゆずほはその汚れを取ろうとした。しかし、不可抗力によって逆に事態を悪化させてしまった。これが事実である。少なくとも、ゆずほの中では。
あの女子達は今、どんな顔をしているのか。ゆずほは周りを見回す。しかし、彼女等はもう教室にはいなかった。
そして翌日、ゆずほは、すべての罪が自分1人に着せられたことを知る。
ー ー ー
第5章へ、つづく....
第4章へ、つづく...(2020.7.20 訂正)
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(※2020.7.16 追記)