一緒にいて疲れる「エナジーバンパイア」にどう立ち向かうか

 エナジーバンパイアという言葉をご存知でしょうか。僕もよく調べないままこの記事を書いてしまっていますが、兎にも角にも他人のエナジー(エネルギー)を吸血鬼のように吸い取って生きている人だと解釈しています。

 さて、それを踏まえて、あなたの周りにはこの「エナジーバンパイア」はいるでしょうか?僕の周りには残念ながら沢山います。プライベートは逆にエナジーを与えてくれるような言うなればエナジーギバーのような人にありがたいことに恵まれているのですが、やはり職場ですね。他人の揚げ足をとったり他人の失敗を大げさに取りざたしたり、余計なことを言ってきたり、機嫌が悪かったり。彼等が他人からエネルギーを吸い取るためにとる手段は様々です。それは意識的なものもあれば無意識でおこなっていることもあるでしょう。

 そんなエナジーバンパイア達に僕等はどう立ち向かえばよいのでしょうか。今回は僕なりに考えた対策を書いていきます。

今回の記事のまとめ

  • エナジーバンパイアからは距離を置いたり関係を断つのが最も有効
  • 物理的にすぐに離れられないのなら、精神的な距離を置く
  • エナジーバンパイアを人として見ずに、動物として見る

目次

 

エナジーバンパイアに有効な手段

できるだけ距離をとる。できるなら縁を切る

 エナジーバンパイアは同じ空間にいるだけでこちらのエナジーを奪ってきます。強いバンパイアならば同じ空間にいなくても、過去の記憶や明日も会わなくちゃいけないなどの未来への憂鬱という形でこちらのエナジーを奪ってきます。そんなエナジーバンパイアに対して最も有効な手段は距離をとる、関わらないということです。距離をとる方法としては職場ならば、転職や部署異動。友達ならば徐々に連絡を減らしていきゆっくりとフェードアウトしていく。エナジーバンパイアからはできることなら速やかに関係を断ちましょう。

 とはいってもそれが簡単にできれば誰も困りません。なかなか関係を断てないからこそエナジーバンパイアは厄介なのです。僕も現在の職場にエナジーバンパイアが主に3体程いるのでかれこれ2〜3年程悩まされています。

 では、そんな離れることが難しいエナジーバンパイアにはどんな手が有効なのか考えていきます。

自分の中の解釈を変える。エナジーバンパイアを人間として捉えない

 物理的に距離をとれないならば、せめて精神的に距離をとる必要があります。その手段の一つとして、バンパイアに対しての認識を変えるという方法をご紹介します。これは僕が実際に数週間実践してみて効果があると実感した方法です。

 人と人との関係に欠かせないものの一つとして、お互いに敬意を相手にもっているかが挙げられます。しかし、エナジーバンパイアは大抵、エナジーを吸い取る相手に対してはその敬意を持っていません。相手を軽んじていたり見下しているからこそ、エナジーバンパイアな行動がとれると思うのです。そんな相手とは人と人としての対等な関係を保つのはまず無理でしょう。ならばどうするか。そのまま吸い取られる生活に耐え続けてもいいですが、いつか限界が来ますし、なにより多くの人はそんな人間には関わらずにもっと楽しい毎日を送りたいはずです。そのために有効だと思う一つの手段は、自分がエナジーバンパイアだと一度認識した相手を、事実は置いておいてあくまでも自分の頭の中だけで人間として認めないことです。対等な人間だと認識しているのに、それを裏切るような言動をされるから、そのギャップでショックを受けてしまっている部分もあると思うのです。

 例えるなら、エナジーバンパイアを野生のキツネやたぬきなどの野生動物だとしましょう。あなたは自分の畑を持っていてそこで野菜を育てています。しかし、毎朝目覚めるたびに畑の一部が食い荒らされています。あなたは、きつねやタヌキに対して怒りを覚えますが、このままでは日が経つごとに畑をどんどんと食い荒らされてしまうので、速やかに策を講じます。そしてダジャレではありませんが、柵を立てます。これで野生動物から自分の畑を守ることができました。

 この例えで言う「畑」はあなたの心であり「野菜」はあなたのエネルギーです。「野生動物」は他でもないエナジーバンパイアを指しています。野生動物は話しが通じませんし、地球に住んでいる以上、他の生命体と共存していく必要があります。しかし、自分が丹精込めて育てた野菜をどこからともなくやってきた動物達に食べられるわけにはいきません。ですからあなたは柵を立てるという策を講じたわけです。 

 ところが、この「野生動物」が「人間」だとしたらどうでしょう。策を立てる以外にもあなたの脳内では様々な思考が行われるのではないでしょうか。

 「どうしてあの人達はうちの野菜を勝手に摂っていくのだろう。明日も来たらやめてくださいと言おうかな。」

「もしかしたら食べ物がなくて困っているのかもしれない。毎日少しずつ摂っていくだけだから見逃してあげてもいいかな。」

など、人間というだけで交渉という選択肢や同情や哀れみという感情が生まれることがあります。また、この人間があなたと知人関係だとしたらどうでしょうか。

「柵を立てたいけど、なんで立てたんだって怒ったりしないかな。そもそもうちの畑なんだからそんなこと言われる筋合いはないけど、喧嘩になるのはいやだしなぁ。」

「勝手に取られるのは腹が立つけど、他のことで助けてもらってることもあるし、気まずくなっても嫌だからこの件に関してはもういいかなぁ。」

など、今後の相手との関係を気にして様々な思考が頭を巡ります。だからこそ面倒くさいのです。だからこそエネルギーを吸い取られ疲弊してしまうのです。

 そこで、僕は一つ提案します。エナジーバンパイアは野生動物としてみなしましょう。野生動物のように何も考えずに心に柵を建てブロックしましょう。ですが、現実にはバンパイアは敵に回すと厄介な存在。なので、できるだけでOKです。完全には無理でも、日頃から意識することで見え方が変わってきます。

エナジーバンパイアに対しての恩や罪悪感、恥を捨てる

 エナジーバンパイアはわざと恩を着せたり、罪悪感を感じさせたり、恥をかかせることで僕等のエナジーを吸い取るという方法をよく使います。しかし、それらの感情はお互いに敬意を持つ人と人同士の関係では必要かもしれませんが、エナジーバンパイアに対しては感じる必要はありません。

 前項で「エナジーバンパイアは野生動物としてみなす。」という提案をしました。この提案はとても失礼で人を侮辱しているのかもしれませんが、僕はこれくらいの心の持ちようでいいと思っています。優しさや人としての思いやりは大切ですが、あまり優しすぎるのも良くありません。いくら優しくても自分や大切な人を誰かに食い物にされては意味が無いのです。特に、エナジーバンパイアに関しては僕等からひっきりなしにエネルギーを奪っていく存在。そんな存在に対して、優しさや思いやりを持つ必要はありません。よくフィクションの世界で、優しい主人公が絶えず優しさを与えることで、敵が味方になるという展開がありますが、そんなことは現実では滅多に起らないことでしょう。いえ、起こるには起こるのですが、それはフィクションのそれとは違います。味方になったとしても、人はそう簡単には変われません。攻撃対象は一時的にあなたから他の誰かに変るでしょうが、その間も小さな攻撃や小さな搾取をあなたは受けることになります。人は、特に幼い頃に形成された価値観や性格が大人になってから大きく影響してきます。幼い頃に空いた、もしくは埋められなかった穴をその人は一生抱えて生きていくわけです。バンパイア本人のその穴が埋まらない限り、バンパイアは近くにいる人間から生気を吸い取り続けます。善悪ではないのです。その人はその人。バンパイアはバンパイアなのです。ですから、あなたに求められることは、悪い人間を良い人間に変えることではなく、どんな人間と過ごしたいかを選択することです。僕はバンパイアとはできるだけ無縁でいたいので今回、転職を決意しました。

意識の外側に追いやる、相手にしないことのメリット

 バンパイアを人間として捉えずに動物として捉えるというやり方は、自分に害のある存在を敵とも味方ともせず、ただ意識の外側に追い出すというアプローチです。

 「嫌な人間」のやっかいなところは、言動で直接攻撃してくるのに加えて、僕等の思考を汚染してくるところです。

 あなたがその嫌な人間を敵対視し、表面には出さずとも心のなかで嫌っていたとしましょう。そうすることで発生しうるデメリットを次にまとめました。

敵対視するデメリット

  • 怒りが増える、汚い言葉が脳に増殖する
  • おごりや満身が増える
  • 他人の揚げ足をとるようになってしまう
  • 自分のことに集中できなくなる
  • 最悪、自分もバンパイアになってしまう

 敵に対して我々がまず抱く感情は「怒り」だと思います。当たり前です。怒るのは当然です。しかし、怒りにはメリットもあればデメリットもあります。怒りを感じる時間が増えるほど幸福度は減少し、脳内には相手を侮辱したり否定したりするための汚い言葉が増殖してしまいます。

 また、嫌いな相手の失敗や欠点を積極的に探すようになってしまいます。

「自分にはこう言ってるくせに、お前も同じことをしているじゃないか。」

「いつも好き勝手言ってくるけど、お前の方がよっぽど人としてどうかと思うよ。」

こう思うことは、一時的には快楽を与えてくれます。しかしその快楽以外に、この思考は我々に何一つもたらしてはくれません。むしろ、我々の幸福、時間、エネルギーというような貴重な財産を蝕んでいきます。他人の粗を探す癖がついてしまうと、自分の自分に対する評価や価値、幸福を他人を基準に相対的に判断してしまうようになります。常に誰かと比べて自分の方が上か下かを判断しては一喜一憂してしまうのです。

 また、他人の失敗を見たり、その分野では自分の方が優れているとき、相手を見下したり嘲笑ったり、自分に慢心してしまうようにもなります。そうなれば、常に誰かのことを気にして、粗探しして、自分の相対的な立ち位置を気にして、自分の本当に大事なことに集中できなくなってしまいます。そしていつしか、自分の大切な価値観を忘れたあなたは、一番嫌っていたエナジーバンパイアになってしまうかもしれません。

 さて、「相手を敵対視する」というアプローチをとるとどうなりうるかをご紹介しましたが、他にはどんなアプローチがあるでしょうか。次にご紹介するのは、嫌な人を「可哀想な人」と捉えるアプローチです。しかし、このアプローチもデメリットが多い気がします。

〈可哀想な人と捉えるデメリット〉
  • 他人を見下すようになる
  • 自分のことに集中できなくなる
  • 人を優劣、上下で見るようになってしまう

 人を可哀想と思うことは時として、人を見下し自分に慢心することに繋がります。見下すということは、人間には上下があるという思考を強固なものにしてしまいますし、慢心は失敗の素でしかありません。これもまた、他人の欠点や自分のプライドが邪魔をして、自分が本当に大事なものに目を向けられなくなってしまいます。

 ですから、僕はエナジーバンパイアを動物として捉え、意識の外に追いやるアプローチをおすすめします。自分の思考を汚染から守り、本当に大切なことに目を向けられるからです。

エナジーバンパイア以外にも使える応用術、人を動物と捉える

 エナジーバンパイアを野生動物としてみなす。という提案を先程しましたが、これはバンパイア以外の人にも応用可能です。あなたの人生の座席には限りがあります。それ以外はその他大勢であり背景といってもいいかもしれません。ですが、その背景に気を取られてしまうことはありませんか?

 人混みの中を歩いていると、道行く人に馬鹿にされている気がする。冷たい目で見られている気がする。このように誰かもわからない人の目を気にしてしまうことはないでしょうか?僕はあります。他人の目をめちゃくちゃ気にしてしまいます。そんなときに有効なのが、人を動物として捉えるという考え方です。人類も動物の一種類に過ぎませんから間違いではないでしょう。人類は他の動物と違い、理性や知性を持ち、言語を持っています。それ故に、あの人間にどう思われているかをつい気にしてしまうのです。犬や猫と接しているときはどうでしょうか。人間と接するように相手の気持ちを考えることはするかもしれません。お腹が空いているのかな。怒っているのかな。喜んでいるのかな。私のことを嫌っているか警戒しているのかな。などです。これらの思考を私達は人間に対しても行いますが、犬や猫の目を気にすることがないのは、犬や猫の気持ちは我々人類にとっては重要度が低いのかもしれません。もちろん、自分の飼い犬や飼い猫がお腹をすかせていたり、どこかを痛そうに庇っていたりなど、生命に関わる場合は重大なことだと捉えて、ご飯を与えたり、動物病院に連れて行ったりするでしょうが、生命に関わらない感情の重用度は低いのでしょう。

 ではなぜ、私達は犬や猫に嫌われるよりも、見知らぬ人間に嫌われることを過度に恐れてしまうのでしょうか。それを知るためには、その先でどんなことが起こるのかを想像しなくてはなりません。

〈犬や猫に嫌われた場合〉
  • かまってもらえずに寂しい気持ちになる
  • 極度に嫌われた場合は噛み傷やひっかき傷などの外傷を負う可能性

 

〈見知らぬ人間に嫌われた場合〉

  • 嘲笑われる可能性
  • 侮辱や嫌悪の言葉、例えば「キモ。」「バカじゃないの。」といった言葉を投げられる可能性

といった具合ではないでしょうか。

 ただし、基本的に動物には精神的、肉体的に本当にひどいことをしない限り、相手にされないことはあっても嫌われることはないでしょう。

 さて、この2つのパターンを見て、あなたにとってはどちらの方が辛いでしょうか?これは人によると思います。要するに、その人が何を恐れているかによって脅威が変わってくるのです。僕のように人からの評価が、あたかも人生を左右するかのような錯覚に襲われる瞬間がある人間もいれば、それとは正反対に、他人からの評価が全く気にならずに、自分の思うままに生きている人もいるのでしょう。後者のタイプは僕の体感で、少数ですが確実にいます。そのタイプの人にこの項の内容は何も利益をもたらさないでしょうが、僕のような他者の目を気にしてしまう人種に向けて、改善策を書いていきます。

 先程もさらっと書きましたが、自分の人生の重要人物以外は動物としてみるという方法を提案します。ただ、エナジーバンパイアと区別するために、のほほんとしているような羊や牛を思い浮かべてください。エナジーバンパイアは畑を荒らす狐や狸、猪などの害獣として、それ以外の深く関わりのない人はただの動物として区別するといいかもしれません。

 さて、想像してみてください。あなたは今100匹以上の羊の群れに囲まれています。羊に元々嫌悪感を抱いている人は、うさぎや猫を思い浮かべてください。緊張しますか?僕の場合は緊張や不安よりも、むしろ癒しを感じます。それはなぜかと考えてみると、動物には言語がなく何を考えているのかはわかりませんが、きっと人間のように複雑な思考はしていないはずです。お腹がすいたや、背中がかゆいなど、人類に比べれば単純な思考をしているのではないかと思います。少なくとも、人間のように「嘘」はないはずです。

 それを踏まえた上で、なぜ他の動物よりも人間の感情や思考を我々は優先するのか。同族だからと言ってしまえばそれで片付きますが、今回はもう少し掘っていきます。

 まず考えられるのが実際に起こる影響の違いです。動物がどう考えようと人にはさほど影響はありません。先程も書いた通り、命に関わる問題は別ですが。

 しかし、人同士の関係でも命に関わる問題は滅多に起こりません。それでもどうして私たちは人との関係に緊張や不安を感じるのでしょうか。そこには、言葉という概念が大きく関係してくると思います。

 私たちは言葉1つで喜んだり、傷ついたりします。1つの言葉が苦しい時に勇気づけてくれることもあれば、逆に1つの言葉がその人にとって一生残る傷になることもあります。他の動物は言葉を持ちません。いいえ、人類の言語ほど複雑な情報をやりとりできる言語を持ちません。動物と過ごす時間は、物理的に傷つく可能性はいくらかありますが、精神的に傷つく可能性は、人間と過ごす時間よりも少ないと言えるでしょう。精神的な痛みは時として、肉体的な痛みを超えることがあります。我々は、人間と過ごすとき、言葉という武器によって精神を傷つけられることを恐れて、緊張や不安を感じるのかもしれません。そういう意味で我々は、同種である人間の思考や感情が、他の生物のそれよりも重要だと感じるのでしょう。

 原因はこれだけではないとは思いますが、今回はこれを結論とします。

それでも腹が立つ!エナジー以外にも時間やお金を吸い取るバンパイアからは離れるのが一番!

 そうは言っても腹は立ちますし、精神的な防御壁を築いたとしても、物理的なエナジーを吸い取られ続ける状況はかわりません。彼等は私達の精神を蝕むと同時に、時間やお金、物や人など、物理的な方面からも搾取を続けます。この記事のこれまでの内容で、精神的な疲弊は少し改善されたかもしれませんが、それでも現実世界で何か状況が変わったわけではありません。バンパイア達はよっぽどのことがない限りこれから人間性が変換することはないでしょう。ですから僕は、自分の精神を守る方法をお伝えしたうえで再び、最後に言わせていただきたいと思います。エナジーバンパイアからは一刻も早く距離を置きましょう。なかなか難しいとは思いますが、やはりこれが一番効果的です。僕のように職場にバンパイアがいるという方は転職をおすすめします。僕も今回転職を決めました。働きながら新たな仕事を探すというのはなかなかに大変な作業ですが、それだけの価値があると思います。僕が転職にあたって利用したサービスやその時考えたことなどは、また別の記事で書けたらと思います。

 また、人を動物と捉えて、相手からの感情や思考をブロックするというアプローチは、人との交流で生まれる感情の上下の波を小さくするアプローチとも言えます。喜怒哀楽を無くすことは、時として虚無感を生んでしまうことがあります。そのため、関わる人全員にこのアプローチを使用すると、とても虚しい毎日になってしまうかもしれません。ですから、動物として捉えるのは一部のバンパイアや自分にとってあまり重要でない人に限定して、自分の大切な人とは人として気持ちを通わせることが大切です。そのためには、自分の周囲の人間関係を構築、厳選して、暖かい雰囲気で満たす必要があります。そういった人間関係についてもまた別の記事で書けたらと思います。

 最後に、この記事を読んでくれたあなが、少しでも笑顔のある明日を生きられますように。同じ星の住人として、それぞれの道を進んでいきましょう。ご覧いただき、ありがとうございました。

海でやることがないときは砂浜で逆ジェンガゲーム!



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 先日、友達数人と海に行ったのですが海って海水浴やキャンプなど、事前に準備をしないとなかなか長時間は楽しめないですよね。1人でぶらっと行くときは自分の気が済むまで海を眺めて黄昏れられますが、数人で行ったときは眺めてるだけでは少し気まずいというか、よっぽど話すことがないと数十分で「よし、帰るか。」となると思います。なんとなく海行ってみるー?って感じで来たはいいものの、やることないな〜なんか面白いことできないかな〜と考えているそこのあなた!そんなあなたに1つ提案があります!それは題して【逆ジェンガ】です!

 海って流木や枝が沢山落ちていますよね。その枝を使って遊ぶゲームです。「ジェンガ」は通常、初めに積み上げた塔から順番に少しずつパーツを引き抜いていき、塔を倒してしまった人が負けというゲームですが、それの逆です。つまり、どんどんと落ちている枝を積み上げていき、次第に大きく高くなっていく塔を倒してしまった人が負け、というゲームです。詳しく手順とルールを説明していきます。


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海で暇なときに頭を使う力学的な逆ジェンガの手順とルール


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 まず初めに、土台を作る必要があります。枝を砂に突き刺していき、金八先生の教えのように「人」の字のように互いが支え合うようにして枝を増やし土台を作ります

 ある程度土台ができたらゲーム開始です。ルールは一つだけ!「地面につけずに土台の上に枝を重ねていく」ただそれだけです。順番に落ちている好きな枝を選んできて土台の上に乗せていきます。小枝ばかり積み上げていても面白くないですし、急に大木を乗っけて早期終了しても面白くないでしょうし、そこはその場にいる人達のセンスで楽しんで見てください!ちなみに、僕が友人数人で先日逆ジェンガをした際はかなり盛り上がりました!どんどん積み上がって最終的に1m70cmくらいの塔になっていました!途中で石や鉄パイプを乗っけてくる人もいて面白かったです。(笑)どこにどう乗っければどこが支えられるかとか、重心がどっちに傾いてるかとか、力学的な建築学てきな目線で結構頭を使うので、自然のなかで身体も頭も使い、友との交流もできるとても良い時間でした。皆さんも誰かと海に行ってやることがなかったらやってみてください!それでは!


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知らないうちに自分が失言をしていた件〜失言の原因と失敗したときの精神状態

 


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 こんにちは最寄然太です。先日職場の飲み会がありました。その時は終始楽しい雰囲気で終わったのですが、後日、とある方、Aさんとしましょう。Aさんと休憩中にすれ違った際に小声で「ごめんね。私、きついんだよね?」と聞かれました。何のことか分からず「どういうことですか?」と聞き返すと、どうやら飲み会のときに僕がうっかり「Aさんがきついから〜。」のようなことを言い、それが聞こえた一部の空気が凍りついたそうです。あの日は記憶を失うほど飲んでいませんでしたし、そんなことを言った記憶はありません。ただ、「女性が強いほうが家庭は丸く収まりますよね。」みたいなことを言ったことは覚えていました。その話しの中でもしかすると僕がそのようなことを言ってしまったのか、それか違う何かを話そうとしたのが違うふうに伝わってしまったのか。そもそも、今思えば「女性が強いほうが家庭は丸く収まりますよね。」という発言自体、失礼な気がしてきています。本人に向かって「あなたは気が強いから旦那さんは尻に敷かれてそうですね。」と言っているようなものですから。もちろん、そんなことを言いたかったわけではないのですが…。

 さて、今回はそんな出来事を踏まえて、自分の発言とそれを相手がどう受け取るか。日本語、言葉の難しさ、コミュニケーションの難しさについて考えていきます。

【目次】

 

 

あの嫌いな人に自分もなっている?


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 あなたには嫌いな人がいますか?きっと多くの人はいますよね。僕もいます。その人はどんな人でしょうか?きっとその人は日常的に悪口を言ったり誰かを揶揄したり怒ったり意地悪をしたりしているのでしょう。どこかで嫌いな人と自分は違うと一線を引き、自分とその人を区別してしまいます。ですが、知らず知らずのうちに自分がその人と同じようなことをしていたりするのです。

 そもそも、人の善し悪しはとても曖昧です。捉え方によって悪い人にも良い人にもなります。万引きは犯罪ですが、その理由が、幼い子供に食べ物を与えるためだったら犯罪であることに変わりはないかもしれませんが、全否定はできないと思います。

 そんな表裏が頻繁にひっくり返る世の中で、自分も誰かにとっての「嫌な人」になっているのかもしれません。もしそうでなくても、もしかしたらと自分の行動を疑う心がけはとても大切です。自分の短所と向き合うつらい作業ですが、そうすることで人は成長できます

 

失言をした時の理想的な心理状態〜自分を否定しない、俯瞰する

 「失敗をするのは仕方がない。でもその後どうするかが重要だ。」このようなことはきっと誰しもが誰かに言われたことがあるのではないでしょうか?

本当にそうだと思います。どれだけ注意してもやはりやらかすときはやらかしちゃいます。人間だから仕方ないですし、失敗から生まれるものもあるのです。が、やはりしくじったときは悔しいですし、辛いです。どうしてこんなことをしてしまったのかと自分を否定してしまったり、恥ずかしさや恐怖で精神が乱れます。

 失敗や恐怖、羞恥心などマイナスな出来事や感情も使い方次第で武器や道具に変えられます。では、失敗をしたとき実際にどのようなプロセスを踏めば最小限の損失で最大の利益を得られるのか。それを考えていきます。

 

失敗を糧にするプロセス1:事実を俯瞰的に把握し理解する。機械になる。

 まずは今何が起こっているのかを理解しなければなにも始まりません。焦っている状況では難しいかもしれませんが、今何が起きてそして何を優先的にしなければならないのか、そういった感情とは切り離されたこの世界の一つの出来事として起きた目の前の現象を高いところから眺め、次の行動を考えます。

 

失敗を糧にするプロセス2:自分の内面、心を俯瞰し把握する。


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 極限状態にこそ大切になってくるのが「メタ認知」です。メタ認知とは自分の認知活動を客観的に認識し、理解し、コントロールする能力のことです。自分の外で起こっている状況を把握したあとは、自分の中で今なにが起こっているのかを把握する必要があります。心に発生している感情、それから思考を把握しなければ、その感情の渦の中に飲み込まれ適切な行動ができない可能性が高くなります。ですから、自分は今何を感じているのか何を考えているのか、それはなぜなのか、自問自答を繰り返しながら自分とともに次の行動を考えます。

 

失敗を糧にするプロセス3:過去は変えられない


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 過去は変えられません。起こってしまったことはもう取り返しがつきません。変えられるのはこれからだけです。失敗してしまったとき、「なんでこんなことになった。」「どうしてこんなことをしてしまった。」と後悔をしてその場に固まってしまってはいけません。過去は変えられないことを思い出し、未来に目を向けます。しかし、「なにが失敗の原因なのか。」と客観的に原因を探るのは後悔と違い大切なことです。

 とは言っても、後悔してしまう。もう終わったことをウジウジと考えてしまう。そんなときありますよね。そんなときは、それも必要な工程だと考えましょう。強い感情を伴う記憶ほど脳に定着します。後悔をウジウジと繰り返すことで、同じような失敗を2度としないように脳が学習をしている最中なのです。失敗をしても次の日にはケロッとしていて同じ失敗を何度も繰り返す人、いますよね?僕も以前その1人でした。過去のトラウマにとらわれてしまうのも良くありませんが、失敗からなにも学習せずに忘れて、同じことで何度もつまずいていては意味がありません。

 失敗する → 程よく後悔し頭の中で何度もはんすうする(この工程は必要に応じて大抵は脳が勝手に行ってくれる。)。→ 時間の経過とともに少しずつ嫌な記憶を忘れていく(必要な瞬間には思い出す。)

 この工程がベストなのかもしれません。ですからクヨクヨしている自分を責めずに暖かい目で見守ってあげてください。

 

2次災害に注意する〜メンタルのあり方


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 失敗をしたとき、その失敗だけで済めばまだいいのですが、その失敗が失敗を呼び、その失敗がそのまた次へと連鎖していってしまうことがあります。物理的な事故や災害でも発生直後は2次災害や3次災害を防ぐ、備えることが求められます。僕らの心のなかで失敗はその事故や災害にあたります。ならば、僕らの心のなかでも2次災害、3次災害を防ぐ、備えることが必要なのです。詳しく書いていきます。

起こり得る2次災害1〜失敗の連鎖


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 これはあるあるですよね。失敗してしまいその失敗に気が取られ気持ちが宙を舞っていると、いつもはしない失敗をしてしまうことがあります。例えば、包丁で指を切ってしまったり、資料作成で誤字脱字が増えてしまったり、上司の指示を聞いていなかったり。 

 失敗の連鎖の原因は2つあると考えます。一つは失敗したことばかりを考えてしまい、次の行動、今していることに集中できないこと。もう一つは、失敗した自分の周囲の人間からの評価を気にしてしまうことです。1つ目の説明は省いていいでしょう。2つ目の原因について解説していきます。

 あなたは周りの人の目を気にしてしまい、さらにそれに一喜一憂してしまうような繊細な人でしょうか?

「No。」と言う方はこの項は飛ばして頂いて結構です。僕を含む「Yes。」の方は少々お付き合いください。まず、失敗と成功のサイクル、つまり【PDCAサイクル】は考えてみればとても単純です。挑戦して失敗したら改善策を打ち出してまた挑戦すればいいだけです。しかしここに感情という見えない不確定要素が加わることでこのサイクルはとても複雑なものになってしまいます。特に「人の目」という概念は様々なネガティブな感情を巻き起こしてしまいがちです。

「失敗しちゃった。よし、改善しよう。」

で終わることが、

「失敗しちゃった。上司に怒られる。同僚に馬鹿にされる。後輩にもなめられるかも。気になってるあの子にはダサいところを見せてしまったし。うわぁ…俺ってなんてダメなんだろう。」

という具合にとても長ったらしく、そして最終的に改善に至ってすらいません。ただの自己否定で終わってしまいました。そうなってしまうとさらなる被害が生まれます。次で書いていきます。


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起こり得る2次災害2〜自分に向けた刃はいづれ外へ向く


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 「なんて自分はダメなんだ。」と自分を責めてしまうと、心はズ〜ンと深海の奥底に沈んだような暗い気持ちに覆われてしまいます。しかし、この自責を続けてしまうと、さらなる被害、3次被害が発生してしまいます。それは、他者への怒りです。

 ずっと自分を責めてずっと自分に向かって刃を向けていると、その刃先はいづれ、僕達人間が持つ無意識の防衛本能によって自分が気づかぬうちに外へと向いてしまいます。自分に向けたナイフの数が多ければ多いほど、自分に向けたナイフが鋭利であればあるほど、それはやがて誰かを傷つける威力の高い凶器へと変わってしまいます。

 ではどうすればよいのか。答えは簡単です。そもそもナイフを握らないことです。自分に向けるナイフを初めから持たないことが大切です。グーパンチくらいにとどめておきましょう。

 僕らが持つべきなのは、自分を責めて罵って傷つけるためのナイフではなく、自分がこの先歩いていくための羅針盤です。その羅針盤は自分で抱え、自分で調節していかねばなりません。そのための失敗なのです。針が狂い、進む方向を誤ってしまったとき、一度つまずき、一度立ち止まり振り返ることで狂った針を修整しまた自分の思う正しい道へと進んでいくのです。

 

なぜ余計なことを言ってしまうのか

 失言をしてしまったとき、失敗をしてしまったとき、どういった心理状態であるのが理想かはわかりました。しかし、そもそも僕たちはなぜ余計なこと、失言を漏らしてしまうのでしょうか。まだまだ知らないことばかりですが、今僕が導き出せる答えを考えてみました。

失言をしてしまう理由1:気が抜けている


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 僕達は大人になるにつれて相手の気持ちをおもんばかって発言をするようになります。相手からの質問や発言が必要な状況によって発言をするためのスイッチが押されます。そのスイッチが押されてから、僕達の脳内では自分の伝えたいことを考え、それから相手の気持ちを考えてどのような伝え方が最適かを導き出してからやっと、口から言葉を発します。しかし、疲れていたりまだ寝起きで身体や脳のエンジンがかかっていなかったり、何か他の悩みがあって心ここにあらずの状態では、その脳内での複雑なプロセスを踏むことが困難になり、自分の伝えたいこと、言いたいことがそのまま口からでてしまいます。この発言が相手にとって不快であるとき、「失言」となってしまうのです。

失言をしてしまう理由2:経験が足りない

 人間は失敗した、これは上手くいったという経験を経て似たような状況に置かれたとき、上手く立ち回ることができるようになります。しかし経験が少ないと瞬時に適切な行動が取れません。いわゆる「空気を読む」ことができないのです。「空気を読む」のは言葉で説明されてもなかなかピンと来ません。時間をかけて感覚で覚えていくしかないのです。ですから、「失言してしまったのは経験が少ないからだ。」と考え、これからに目を向けるのも1つの考え方だと思います。

 

まとめ

 今回は「失言(失敗)をしたとき、最適な精神の状態とは」そして「なぜ人は失言をしてしまうのか」について考えました。複雑で難しい問題なので書きたいこと全てを書けたわけではありませんし、まだまだ知らないこともたくさんありますが、ひとまずの記録として本記事を残します。僕のように生きることに不器用な方の一助になれば幸いです。ではまたお会いしましょう。