小説書いてみる!「真夜中サロン」 真夜中を覆うさざ波

f:id:nenta-moyori:20220306161028j:plain

ノローグ


 真夜中の街は静まり返っていた。ここに住む人間が、皆眠りについていることが空気でわかる。織部紗弥華は1人彷徨い、住宅街に極まばらに散らばる窓の明かりをぼんやりと眺めて、まだ起きているであろうその部屋に住む住人に、勝手に共感や仲間意識を抱いたりしていた。

 彼女の心はまさにその夜のように暗かったが、夜が街明かりで照らされるようにいくらかは明るい。

 紗弥加は玄関の戸を開けて部屋を出た。真夜中を1人歩くという初めての経験に、家を出る前の鬱々とした気分は、雲が晴れたようにすっきりとしてきている。その日から、真夜中に街を徘徊するのが彼女の密かな趣味となった。

 

真夜中を覆うさざ波の音


 大学を卒業しチェーンの飲食店に就職してまだ半年も経たない。最近、彼女の心は疲弊してきていた。世の中を見れば、自分よりも辛い思いをしている人は沢山いる。自分は家族が死んだわけでも、友達が死んだわけでもない。はたまた障害や病気を抱えているわけでもない。どちらかといえば、自分は恵まれている方だと、紗弥華はふと考えることがある。しかしそれは、その直前に浮かんだ絶望や寂しさを打ち消す消火剤とはならず、暗い色の炎がめらめらと静かに消えることなく、未だに燃え続けている。

 

そのことは、彼女自身理解している。自分は辛い。なぜか。

 

 今夜も彼女は街を歩いた。そして近所の公園にたどり着いた。グランドが広くて芝生も遊具もある、中学校がすぐ近くにある、そんなことがその公園の売りという感じがする。

 

深夜1時を周って、流石に誰もいない。砂を踏む自分の足音が妙に響いて、ああ、夜だなぁと思った。

 

 公園の前の道路の反対側はマンションの裏手に面している。4階建ての横長の新築だ。いくつかの窓から明かりが溢れている。まだ自分以外に起きている人がいることを紗弥華はどうということもなく、ぼんやりと考えた。真夜中というのは、普段は気にもとめないようなことが、妙な魅力を持つことがある。

 

 芝生に腰を下ろした。芝生に座るという行為はかなり久しぶりで、少しわくわくした。紗弥加はついそのまま体を倒し、両手を枕代わりにして芝生に寝そべった。目前に広がる夜空には、星が街の灯りに遮られて薄くきらめいている。そんな景色をぬるぬると流れるグレーの雲が横切る。その雲たちには、なぜか迫力があった。月の前を横切る瞬間、もくもくとした雲の輪郭が月に照らされる。紗弥加はその光景を美しいと感じると同時に、どこか怖くも感じた。

 

 その夜は紗弥華以外には誰一人として気配すら感じない日曜日の夜だった。

 

 次の日は朝から仕事だった。昨晩な夜ふかしのおかげで今日を睡魔と共に過ごすことになってしまったものの、紗弥加の心はいつもより、いくらか軽かった。

 

 定時で職場をあとにした紗弥加は帰り道、「今日は部屋の掃除でもしてみようかしらん。」と思い、帰宅してすぐに取り掛かった。紗弥加の部屋は決して広くはなかったが、無駄なものを溜め込む性格ではなかったので、室内はすっきりとしている。とはいえ、就職してからは仕事にかまけて掃除をおろそかにしていたので、よく見ればゴミやホコリが目につくようになっていた。

 手始めに掃除機をかけていると、テレビの後ろに四角いものが落ちているのが見えた。手にとって見てみるとそれは、それは紗弥華が中学生のときに工作の授業で作った防災用のラジオだった。緑と白色のプラスチック製で、後ろに可愛らしいアンテナがついている。

 

 「久しぶりだね、FMちゃん。」

中学生のとき、紗弥加はラジオが好きで学校から帰るとすぐにスイッチを入れた。勉強や宿題をしているとき、お小遣いで買ったポテトチップスを親や兄妹に見つからないようにこっそり食べているときも、机の上の隅ではいつも小さな赤いランプを灯した小さなラジオが心地よい音色や声色を発していた。当時は家の決まりで11時までに寝なくてはならなかったが、深夜ラジオを聞きたいがために布団の中で小遣いで買ったイヤホンから聞いたこともあった。

 懐かしい過去を思い出しながら彼女は電池を入れてスイッチを押した。すると、正面の小さなランプが赤く光り、スピーカーからザーっという砂嵐が聞こえてきた。

 

 紗弥華はしばらくの間ダイヤルに触らずに、その音にただぼーっと耳を傾けていた。外はもうすでに暗く、部屋は小さなオレンジ色の豆電球とストーブの赤い光照らされている。

 その砂嵐は彼女には、波の音に聞こえた。海面が揺れ、小さな波が次々と真夜中の砂浜に打ち上げられては消える。誰もいない、暗く静かな海に彼女は思いを馳せた。そしてそのまま、静かな深い眠りへと沈んでいった。

 

f:id:nenta-moyori:20220306161939j:plain