娯楽を否定したら心が死にそうになったので詳細をお伝えします。

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 「どうせ死ぬのに生きる意味なんてあるの?」

そんな疑問が常に頭の中にあるこの頃の僕。

最近は何を考えるにしても、つい自分の死と照らし合わせてその物事の意味を探してしまいます。

しかしいくら探しても、確固たるものは見つかりませんでした。

なぜなら、僕は「どうせ死ぬ」からです。

なので当然、小説や音楽などのエンターテイメントも僕の中では、何の意味も無いということになってしまったのでした。

 

目次

 

幸せになることに何の意味がある?僕が捨てた幸福

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 「幸せになったところでどうせ死ぬ。最後には全部無になる。」

こう思う頃にはもうすでに生きる意味を見失い始めていました。

僕は様々なことを考えすぎた挙げ句、色々な幸福を捨てていきました。

小説、音楽、映画、ゲーム、食事、人付き合い...。

僕の日常から徐々に色が消えていくことに僕は気づかずに、これが正しいのだと信じていました。

 

結果、鬱みたいになる。

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 「よし、これできれいさっぱりになった。」

そう思った途端、僕の心は機能を停止してしまいました。

例えるなら、部屋にあるものを全て処分して家具も食料も何もかも無くなった空っぽの部屋を眺めているような気分でした。

「お前は何がしたかったんだよ。」

自分にそう言われたような気がしました。

 

救ってくれたのは、音楽

 

 

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 色のない自分の部屋の隅で、自制心の欠片も無くなった僕は手軽な快楽を得ようとしました。

僕はとうとうこれまで避けていた「娯楽」に手を伸ばしたのです。

スマホゲーム、ユーチューバーの動画。

しかし、心はわかっていました。

それは時間の無駄でしかないことを。

娯楽は娯楽でも、僕には必要のないものだったのです。

それでも、過ぎゆく時間の流れから目を背けるのには必要な行為でした。

現実逃避という、楽なようでとても辛い時間でした。

そんな僕に救いの手を差し伸べてくれたのは音楽でした。

amazarashiが聴きたい。高橋優を聴きたい。

という純粋な思いに駆られ、僕はYouTubeの検索欄にキーワードを打ち込みました。

...タカタカタカ

amazarashi

...カチ

...タカタカタカ

 「高橋優

...カチ

 amazarashiさんの音楽は、暗いどん底にいる人間の居場所になってくれます。

また、コメント欄ではファン達がそれぞれの思いを並べて、温かい空間を作っています。

 高橋優さんの曲は、どんなに辛くてもまた歩き出そうという気持ちにさせてくれます。

親戚のお兄ちゃんに背中を擦られているような気分です。

 

まとめ

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 今回、僕が行った実験はこうでした。

「娯楽がなくても人間は生きていけるのか?」

僕の場合、結果はこうです。

生きていけないこともないが、心が死ぬ。

死んだ心を引きずったまま、生きていくのはとても辛いことです。

自らそんな道を選ぶことはないのです。

 娯楽にも種類があります。

映画、音楽、読書、ゲーム、動画鑑賞、サイクリング、キャンプ、食事、懇話...。

人それぞれですが、今の僕にとっての娯楽とは芸術だったようです。

音楽、絵、小説。

一旦距離を置いたことで、それは必要なものだとわかりました。

 あなたにとっての娯楽はなんでしょう?

サンプル数1ですが、是非参考までに。